この交差点は白山通りが現在のように白山をまっすぐに突き抜けるように造られて以来(1970年代前半?)、三つの交差点が組み合わさった形になっている。
白山のほぼ中心に位置し、白山1,2,4,5丁目の境が集まるところになる。
地形的にもいくつかの坂道が集まるところで、白山通りもここから巣鴨に向かって、わずかではあるが見て分かるくらいの上り坂になっている。
写真の右が白山通りの春日・水道橋方面、左が同じく千石・巣鴨方面。正面奥に向かうのは旧白山通りで向丘・本駒込に通じている。
この交差点は白山通りが現在のように白山をまっすぐに突き抜けるように造られて以来(1970年代前半?)、三つの交差点が組み合わさった形になっている。
白山のほぼ中心に位置し、白山1,2,4,5丁目の境が集まるところになる。
地形的にもいくつかの坂道が集まるところで、白山通りもここから巣鴨に向かって、わずかではあるが見て分かるくらいの上り坂になっている。
写真の右が白山通りの春日・水道橋方面、左が同じく千石・巣鴨方面。正面奥に向かうのは旧白山通りで向丘・本駒込に通じている。
3月25日の日曜日。
雲も多いが、昼間の陽射しは暖かく、たまたま見つけた梅の花が満開だったので、写真を載せておきます。
白山通りから小さな坂道をちょっと見上げた所で日の光をキラキラさせていたので気がついた。
はじめは桜だと思った。ところが、幹を見て梅じゃないかと思うも、知識と経験が無い上、3月下旬でピンク色の花なので判断できない。
梅にしては遅いし、桜の開花はまだ聞いていない。桜だとするとどうしてここは早いのだろう。
結論は梅としたが、なんにせよ、春なんだからチェックしとけよと教えてくれたことには違いない。
箱根駅伝で3度の総合優勝、全日本大学野球選手権大会でも連覇するなど、近年スポーツで目覚しい活躍をみせている東洋大学の古くからのキャンパスが白山にある。
創立してから今年で125年になるそうで、1897年に小石川原町(現在の白山5丁目)に新校舎を建てて移って来たということだから、白山での歴史も115年。もはや、白山を語る上では白山神社、小石川植物園とならんで欠かせぬものとなっている。
ここ数年はキャンパスや学部の再構成を行っているため、街を歩く学生の流れも変化をしていてしばらくは落ち着かない印象だが、それが過ぎたとき白山の街はどのようになっているだろうか。周囲の商店も高齢化に伴って閉店したり、再開発の手が入ったりと動きを増してきたようだから、一緒に見守りたいところ。
一緒にといえば、東洋大学付近の商店街では、2012年の箱根駅伝の優勝と125周年を記したペナントを吊るして大学と共に祝っているのを見ることができる。そういうところは続いていって欲しいですね。
白山は南北に長い谷とその東西の丘の上に作られた町。
つまり、坂に囲まれている町でもある。
東南の端にあるのが、新坂(福山坂)。写真のSカーブ注意の標識あたりまでが白山で、その先は西片。さらに東京大学の正門付近へと歩いて行ける。
新坂と名づけられた坂は文京区内にいくつもあって、別名を持つ坂もある。丘の上に福山藩の屋敷があったことから、ここは福山坂とも呼ばれている。
丘は丸山と呼ばれていたようで、この辺りの町内会である丸山福山町町会の名に残っている。
その名のとおり、白山は白山神社の鳥居前町。
南に向いて突き出た台地の上にあって、建てられた当時は一番目立つ場所に造られたんだろうと想像できる。
今では高い建物に囲まれて、ふだんは目立たず静かな、この町らしいたたずまい。
初夏には紫陽花まつりが、秋には例大祭が行われ、町の中心としての地位を取り戻して賑わう。
東京の白山は静かな街。とても東京の都心にあるようには思えない。
人に言っても、どこにあるのかさえぼんやりとした印象しか答えてもらえない。
それでも、気がついたら結構長く暮らしている。
だから、白山を見直してみることにした。
Hello 白山!
いい街なので、みんなにも、もう少し知ってほしい。